八王子十五宿の繁栄

甲州街道の賑わい
 八王子は、江戸時代から、甲州街道の宿場町として発展しています。横山、八日市、八幡のほかにも、八木、久保、嶋坊、本郷、小門、上の原、寺町、子安、新町、本宿、横町、馬乗の宿場が次々と開設され、八王子横山十五宿と呼ばれるようになります。この頃の八王子には、大名などが泊まれる本陣をはじめ、50軒近くの旅籠が軒を連ねていました。八王子の昔話の中から、徳利の中で全国の名所巡りを済ませてしまったという「とっくり亀屋」も、そうした旅籠のひとつです。

 八王子十五宿ののうち、江戸幕府公用の伝馬宿は、横山宿と八日市宿だけでした。この2宿は、人や物資の中継ぎを行う代わりに、市(いち)を開設することのできる権利などの特権を持っていました。また、甲州街道は、江戸五街道のひとつでしたが、参勤交代でこの街道を利用したのは、信州の高遠、高島、飯田の3藩だけでした。

 しかし、江戸時代も後期になると、人々の間で寺社への参詣が盛んに行われ、八王子宿も多くの人々で賑わうようになります。当時、江戸の町で流行っていた「富士講」の信者達は甲州街道を通って高尾山に参拝し、小仏峠を越えて富士山に向かいました。また、埼玉方面から相模国の大山へ参拝する「大山講」の人々は、八王子に宿を取ってから旅立ちをしてました。

 八王子の市もしだいに大きな賑わいをみせて、江戸時代後期になると関東有数の規模となりました。市(いち)では、織物をはじめ米、炭、塩、麻など様々な物資が取り引きされ、変わったところでは、柏餅に使う柏葉の市(いち)が立ったという記録も残されています。