市の名の由来
 916年(延喜16年)に華厳菩薩という名僧が、現在の元八王子三丁目の城山に、牛頭天王と8人の王子を祭祀し、八王子権現と称したという伝説があります。
 そして、元亀から天正年間(1570年代)の頃、滝山城主・北条氏照がこの山に移し、八王子権現を守護神として、「八王子城」と呼んだのが、八王子という地名の由来であるといわれています。

八人の王子
八王子はハットウジだった ?

 中里介山著「大菩薩峠」の文の中に、「よた村とんび」という人物が登場する。これは、八王子出身の江戸学者である三田村鳶魚(エンギョ)(明治3年〜昭和23年)のことを、介山が痛烈に皮肉って云われたものだという。
 それほど、介山と鳶魚は不仲だったといわれる。
 (注) 中里介山(ナカザトカイザン・1885年-1944年)小説家。

  東京都羽村市の生れで、本名・弥之助という。
 小学校高等科卒業後、電話交換手・小学校教員となった。一時キリスト教の感化を受け、間もなく社会主義に共鳴したが、仏教的傾向をおびて離れた。ユゴーやトルストイの文学に親近、明治42年(1905年)、都新聞社に入社して、処女作『氷の花』を執筆以来、『都新聞』紙上に時代小説を発表した。 大正2年(1913年)9月、『大菩薩峠』の連載を開始、日本の近代文学の主流をなす文壇文学とはまったく別種の文学世界を創造した。
 羽村の旧居には大菩薩峠記念館がある。


 「君たち、八王子、八王子と気安く言うが、そもそも八王子という名前の出所来歴を知るめぇな。江戸は江の戸だぁな、アイヌ語だという説もあるが、大きな川が海へ注ぐ戸口だと見てさしつかえねぇ、大阪は大きな坂だよ、大きな坂だから運賃が安いか高いか、それだけのことなんだが、八王子とくると、もっと深慮微妙な出所来歴がある。

 君たちは知るめぇが、そもそも八王子という名は法華経から来ているんだぜ。法華経のどこにどう出ているか、君たちいっぺんあれを縦から棒読みにしてみな、すぐわかることだぁな。
 ところが、ものを知らねえ奴は仕方のねぇもんで、近ごろ徳富蘆花(トクトミ・ロカ)という男が芋虫のたわごとという本を書いたんだ、その本の中に、ご丁寧に八王子を八王寺と書いてある。大和の国には王寺というところはあるが、八王子が八王寺じゃものにならねえ、蘆花という男が、法華経一冊満足に読んでいねぇということが、これでわかる・・」(「大菩薩峠」より)

 徳富蘆花も間違えたという八王子、この地名の由来は、八人の王子を祭っていることから生じたといわれています。

 仏教によれば、この八人の王子とは、牛頭天皇(ゴズテンノウ)と
          沙葛羅龍王(サカラリュウオウ)の女頗梨釆女(ハリサメ)との子供                                    八将神であるといわれる。
  第一に 総光天王、   第二に 魔王天王、
  第三に 倶摩羅天王、  第四に 得達神天王
  第五に 良侍天王、   第六に 侍神相天王、
  第七に 宅神相天王、  第八に 蛇毒鬼神天王    である。

 神道によれば、素盞鳴尊(スサノヲミコト)と天照大神の間に生まれた
  五人の王子
    天忍穂耳命(アメノオシホミノミコト)、  天穂日命(アメノホヒノミコト)
 .  天津彦根命(アマツヒコネノミコト)、   活津彦根命(イクツヒコネノミコト)、
    熊野豫樟日命(クマノクスビノミコト)          の五柱の神である。
  王女三人
    田心姫(タコリヒメ)、  瑞津姫(タキツヒメ)、  市杵嶋姫(イツキシマヒメ)の
     三柱の神で、 あわせて八柱の神を祭ったことによるといわれている。

 八王子を「ハチオウジ」と言うようになったのは、江戸時代になってからだといわれる。創草期の八王子は、「ハッタウジ」と発音していたが、「ハチオウジ」と発音する人が多かったため江戸中期以降「ハチオウジ」になったといいます。