八王子市は…

  『歴史のある西の都』です。
 関東山地から武蔵野台地に移る地点に位置しており、古くから東、南、西の三多摩地方の中核都市で、大正6年(1917年)9月1日に市制が施行され、現在84周年を超える52万人弱の人が居住している中核都市となっています。

 昭和16年(1941年)に小宮町、昭和30年(1955年)に横山・元八王子・恩方・川口・加住・由井村、昭和34年(1959年)に浅川町、昭和39年(1964年)に由木村を八王子市に編入した。

 現在は、JR中央本線が東西に走行し、南北にはJR八高線・横浜線、都心へのアクセス京王帝都電鉄などの分岐点・交通の要地でもあり、通勤・通学、旅行、他に各種目的などで1日約16万人の方達が利用している。
 16世紀のはじめ、加住丘陵の高月城から滝山に大石定重が城を移して、城下町を建設し、その後、北条氏照の居城となり、武田信玄の攻撃に対峙したが、「滝は落ちる」の語を忌んで、旧八王子村の八王子城に居城・城下町を移した。豊臣秀吉の関東平定のさい落城とともに、城下町は交通の要地である平地に移したものです。

 江戸時代は※甲州街道の宿場町、また、谷口部落の市場町として発達し、また、近郊農村の絹織物の集散地としても知られた。なお、八王子には甲州口の備えとして※八王子千人同心が置かれていた。機織業は明治後期、都市工業として市街地に集中し、第二次大戦前は絹織物、戦後は絹毛織やネクタイの特産地として繁栄した。

 近年になって、市街地周辺の丘上に工業団地が造成され、機械・化学工業関係が盛んとなって発展し、また台地、田畑などを住宅地として開発して居住区化し、東京の衛星都市ともなっている。

(注)※「甲州街道の宿場町」・「八王子千人同心」 は別途解説のHPがあります。

 約52万人の市民の人達が利用している市庁舎は、北浅川と南浅川が合流する「鶴巻橋」近くの元本郷町三丁目にあり、多くの市民が毎日訪れて生活する上で必要な具申・申告・書類整備のために利用されています。

 現在の市庁舎は昭和58年10月に完成し、地上10階建ての事務棟、6階建ての議会棟で構成されています。
 さらに住民が身近かに事務書類手続きの出来る場所としての事務所が各地区14ケ所に点在しており、地域住民の便が図られ利用されています。